報恩寺 永代供養墓・樹木葬 寺院墓地
住所 | 福岡県柳川市西魚屋町50 |
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設備 | |
宗教 | 宗教不問 |
特徴 | 報恩寺 永代供養墓・樹木葬は福岡県柳川市にある樹木葬のお墓です。ご遺族に負担をかけたくない方も事前に購入ができる「生前申込」ができます。檀家義務が条件でないことも特徴ですね。また、駐車場があるので車でのアクセスも可能です。お墓をメンテナンスするスタッフが常駐している霊園になります。 |
最終更新日 | 2025年04月1日 |
永代使用料
区画名 | 区画面積 | 永代使用料[A] | 墓石施行価格[B] | 総額[A+B] | 年間管理費 | 空き区画 | 備考 |
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永代供養墓「やすらぎ」合祀/1名 | 110,000円 | なし | 有 | 別途:個人墓誌代、納骨料、事務手数料 | |||
永代供養墓「やすらぎ」骨壷安置7回忌/1名 | 190,000円 | なし | 有 | 別途:個人墓誌代、納骨料、事務手数料 | |||
永代供養墓「やすらぎ」骨壷安置33回忌/1名 | 330,000円 | なし | 有 | 別途:個人墓誌代、納骨料、事務手数料 | |||
永代供養付個別墓「やすらぎ五輪塔」1名 | 770,000円 | なし | 有 | 別途:個人墓誌代、納骨料、事務手数料 | |||
永代供養付個別墓「やすらぎ五輪塔」2名 | 990,000円 | なし | 有 | 別途:個人墓誌代、納骨料、事務手数料 | |||
永代供養付個別墓「やすらぎ五輪塔」3名 | 1,210,000円 | なし | 有 | 別途:個人墓誌代、納骨料、事務手数料 | |||
永代供養付個別墓「やすらぎ五輪塔」4名 | 1,430,000円 | なし | 有 | 別途:5名以上追加登録時費用、個人墓誌代、納骨料、事務手数料 | |||
永代供養付個別墓「やすらぎの郷」1名 | 770,000円 | なし | 有 | 別途:個人墓誌代、納骨料、事務手数料 | |||
永代供養付個別墓「やすらぎの郷」2名 | 990,000円 | なし | 有 | 別途:個人墓誌代、納骨料、事務手数料 | |||
永代供養付個別墓「やすらぎの郷」3名 | 1,210,000円 | なし | 有 | 別途:個人墓誌代、納骨料、事務手数料 | |||
永代供養付個別墓「やすらぎの郷」4名 | 1,430,000円 | なし | 有 | 別途:5名以上追加登録時費用、個人墓誌代、納骨料、事務手数料 | |||
永代供養付個別墓「冥福五輪塔」永代納骨 1室(2名) | 1,430,000円 | なし | 有 | 別途:3名以上追加登録時費用、家名彫刻料、墓誌彫刻料、納骨料、事務手数料 | |||
永代供養付樹木葬「自然想 やすらぎの風」合同墓/1名 | 198,000円 | なし | 有 | 別途:個人墓誌代、納骨料、事務手数料 | |||
永代供養付樹木葬「自然想 やすらぎの風」個別墓/1名 | 550,000円 | なし | 有 | 別途:個人墓誌代、納骨料、事務手数料 | |||
永代供養付樹木葬「自然想 やすらぎの風」個別墓/2名 | 880,000円 | なし | 有 | 別途:個人墓誌代、納骨料、事務手数料 | |||
永代供養付樹木葬「自然想 やすらぎの風」個別墓/3名 | 1,210,000円 | なし | 有 | 別途:個人墓誌代、納骨料、事務手数料 | |||
永代供養付樹木葬「自然想 やすらぎの風」個別墓/4名 | 1,540,000円 | なし | 有 | 別途:5名以上追加登録時費用、個人墓誌代、納骨料、事務手数料 |
住所 | 福岡県柳川市西魚屋町50 |
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アクセス |
▼西鉄天神大牟田線「西鉄柳川駅」西口より車で約7分
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見学予約のご相談が可能な日
- 日
- 月
- 火
- 水
- 木
- 金
- 土
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こんな方におすすめです!
◆跡継ぎ・墓じまい不要のお墓にしたい
◆子供に費用や管理の負担を残したくない
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●年間管理費不要
初回費用に全期間の管理費が含まれており、年間管理費、護持会費といった維持費が一切かかりません。
●継承者不要・墓じまい不要
お墓の管理・供養は報恩寺が永代にわたり行いますので、お墓の継承の心配がありません。
●過去の宗旨宗派不問
過去の宗旨宗派は問いません。
●生前申込可
生前のお申込も受け付けております。
<報恩寺について>
報恩寺は、柳川市西魚屋町にある曹洞宗のお寺です。
創建は鎌倉時代、寛元3年(1245年)、筑後西牟田の地頭職西牟田筑後守家綱の子、西牟田筑前守家村が、蛭池村(現在の大木町蛭池)に建立した大興山慶雲寺に始まります。慶雲寺は大永5年(1525年)の豊後大友氏の筑後侵入の争乱に兵火に罹り、その後天正16年(1588年)立花宗茂が柳川に封じられた後再興されます。関ヶ原の功績によって筑後領主となった田中吉政が、その寺を柳川城下に移築、慶長9年(1604年)3月、開山として筑後の名刹千光寺(久留米市山本町)第八世縦寅雲逸禅師を招請して曹洞宗となり、寺号を「大慈山 観世音院 報恩寺」と称することとなりました。
境内には松根城の城主であった松根光廣の墓碑をはじめとして、 松根東洋城の句碑などが残されています。